弘前城
天守と岩木山
■概要■
天守が現存する12の城のひとつ。江戸時代には弘前藩津軽氏が居城し藩庁が置かれた。
曳屋した天守
天守内
本丸広場
二の丸辰巳櫓
東門
二の丸丑寅櫓
北門(亀甲門)
津軽為信像
■見どころ■
天守、辰巳櫓、丑寅櫓、未申櫓、追手門、東門、東内門、南内門、北門(亀甲門)などが現存している。本丸石垣の修復事業のため、平成27年(2015年)に曳屋で天守建物をまるごと移動した。天守が元の位置に戻されるのは令和7年(2025年)の予定。また弘前城のある弘前公園は桜の名所でもある。
■歴史■
津軽地方を統一した大浦為信は、豊臣秀吉から領地を安堵され、大浦から津軽と改姓する。文禄3年(1593年)に大浦城(弘前市五代早稲田)から堀越城(弘前市堀越柏田)に移り、関ヶ原の戦いで徳川方についた為信は家康から加増され4万7千石の弘前藩が成立した。高岡(現在の弘前)に築城をすすめ、2代・信枚の代の慶長16年(1611年)に高岡城が落成。寛永5年(1628年)に高岡から弘前へ改称された。。
■逸話■
幕末の動乱期には新政府軍の命令に従い庄内藩攻めに参加したが、奥羽越列藩同盟が結成されると隣の南部氏が藩主を務める盛岡藩と共に参加する。藩主・津軽承昭の夫人の実家である京の近衛家から「新政府軍が優勢」という情報がもたらされると、列藩同盟を脱退し、盛岡藩領に攻め込んだ。箱館戦争では青森は新政府軍の補給基地となり、承昭は朝廷からの伝令役「奥州触頭」に任命された。。
■観光情報■
所在地: | 青森県弘前市下白銀町1 |
アクセス: | 弘南バス 市役所前バス停 徒歩約4分 |
御朱印/御城印など: | あり |
オフィシャルサイト: | あり |