旅と史跡の記録

新選組流山本陣・近藤勇陣屋跡

近藤勇陣屋跡

■概要■

新選組率いる近藤勇が陣を敷いた酒造家長岡屋跡。新政府軍に囲まれた近藤勇は投降し、のちに斬首となった。

■ガイドパネル■

文久3年春以来京師にあって勇名を馳せた新撰組は慶応4年正月鳥羽、伏見の一戦に敗れて江戸に帰り新たに甲陽鎮撫隊を結成、同3月甲州路勝沼に出陣して官軍と交戦、これまた敗れて総州流山に再挙をはかった。当時の流山は水陸交通の要衝、醸造業の地として知られ、各種問屋、船宿、旅籠等軒をつらね本多氏下総領管理の「加村役所」も加村台にあってその繁栄は金rンに比すべきものがなかった、ために江戸を脱出した幕兵のこの地を慕って屯集する者、また数を知らなかった。甲陽鎮撫隊は3月20日ごろ流山に入り、酒造家長岡屋(当所)を本陣とした。日増しに傘下が加わる同志隊員を諸家に分宿させ、旬日にしてすでに一大勢力となっていた模様である。一方、官軍においては、その東山道軍先鋒隊の一部が結城方面の鎮圧に向かう途次、この風聞を耳にした、直ちに香川敬三指揮する一隊流山に来攻、策を以て隊長近藤勇(大久保大和と変名)を誘い縛に就かした。時に慶応4年4月3日の夕刻である。一説に、近藤は、兵災の郷民に及ぶことを憂い、みずから敵手に身をゆだねて決戦を避けたという。老松古椎に往時を偲んでここに遺跡の石碑を建てる。

■観光情報■

所在地:  千葉県流山市流山2丁目122−3 
アクセス:  流鉄流山線 流山駅徒歩約4分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: なし