旅と史跡の記録

左内公園(橋本左内墓所)

左内公園

■概要■

福井にある橋本家菩提寺跡。現・左内公園。橋本左内銅像、墓所の他、芭蕉宿泊地洞哉宅跡碑がある。

左内公園

橋本左内銅像

橋本左内墓所

橋本左内墓所

■見どころ■

現在の左内公園は橋本家の菩提寺・善慶寺の跡地である。 左内公園の隣接地にある妙経寺は、戦災で焼失した善慶寺と統合されている。安政の大獄で伝馬町牢屋敷で処刑された橋本左内は、東京・回向院で埋葬され後に善慶寺へ改葬された。また、また、元禄2年8月11日(1689年9月24日)松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の途中、福井の俳人・洞哉の宅に2泊した後連れ立って敦賀へ向かったという記念碑がある。

■歴史■

藩医の家に生まれ、緒方洪庵に師事し、藩主・松平春獄の側近になり将軍継嗣問題や幕政改革などに従事。安政の大獄で春獄が隠居謹慎を命じられると左内も捕えられ、江戸伝馬町の牢屋敷で斬首となる。

■ガイドパネル■

「橋本左内は、幕末の福井藩士です。16歳のときに大坂に行き蘭学や西洋医学を学ぶなど、若い頃から熱心に勉強しました。 左内は24歳の若さで藩校「明道館」の学監同様心得に就任し、欧米の優れた学問を学ばせようとしましたが、「むやみにまねるのではなく、日本古来の道徳などの精神的な学問を助けるものとして学ばなければならない」と洋学を学ぶ時の注意も忘れませんでした。 将軍の後継問題が起きると、福井藩主松平春嶽の命令を受けて、一橋慶喜を将軍にしようと江戸や京都で活動しました。しかし、徳川慶福を将軍にしようとした井伊直弼が大老になると、左内は捕らえられ、安政6年(1859年)26歳の若さで処刑されました。 左内は、15歳のときに「啓発録」を書きました。これは、学問を志した左内が、これからどのように生きていくかという心構えを綴ったものです。」

■観光情報■

所在地:  福井県福井市左内町7−7 
アクセス:  JR福井駅 徒歩約16分 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: なし