旅と史跡の記録

由利公正邸跡

由利公正邸跡

■概要■

五箇条の御誓文の起草に参画した福井藩士の邸宅跡。足羽川にかかる幸橋のふもとにある碑。道路を挟んで由利公正銅像がある。

由利公正像

由利公正宅跡碑

坂本龍馬の歌碑

■見どころ■

実際の由利公正宅跡は、明治33年(1900年)~44年(1911年)にかけて行われた河川改修工事によって消滅している。

■歴史■

由利公正は幕末の福井藩士で、旧名は三岡八郎(みつおかはちろう)。横井小楠に師事し、福井藩主・松平春獄公のもと藩の財政を立て直すなど藩政改革に従事。明治政府の基本方針である、五箇条の御誓文の原案「議事之体大意」を作成したとされる。

■逸話■

文久3年(1863)5月、坂本龍馬が神戸海軍塾の資金調達のため福井に来た際、由利公正宅へ訪れ語り合い、熱い思いを歌にしたという。 「君がため捨つる命を惜しまねど心にかかる国の行く末」という歌の歌碑が建てられている。

■ガイドパネル■

「由利公正は、幕末・明治期の政治家です。文政12年(1829)、現在の福井市毛矢1丁目福井藩士三岡義知の長男として生まれました。初め石五郎、後に八郎、公正と改名しました。また、明治3年(1870)以後は、先祖の旧姓の由利を名乗りました。 横井小楠に師事し、藩の財政建て直しを含む、藩政の改革に貢献しました。明治新政府の成立後は太政官札(新政府の発行した最初の紙幣)を発行するなど、財政基盤の整備や「五箇条の御誓文」の原案となった「議事之体大意」を作成しました。その後、東京府知事となり、銀座通りの整備等を行いました。また、民撰議員設立建白書にも名を連ね、明治42年(1909)に、81歳で亡くなりました。」

■観光情報■

所在地:  福井県福井市毛矢1丁目1 
アクセス:  JR越美北線福井駅 徒歩約12分 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: なし