旅と史跡の記録

正覚山阿弥陀寺

正覚山阿弥陀寺

■概要■

鶴ヶ城の唯一の現存する遺構「御三階」、斎藤一こと藤田五郎の墓などがある。

明治戊辰戦役殉難者墓

藤田家の墓所

■見どころ■

御三階は明治初年まで鶴ヶ城本丸にあった建物で、鶴ヶ城の唯一の現存する遺構。明治3年(1870年)に移築された。外観は3階だが内部は四層なっており、当時は密議所に利用されていたと考えられる。会津戦争で阿弥陀寺が焼失したため、本堂として利用された。境内には明治戊辰戦役殉難者墓(東軍墓地)、斎藤一こと藤田五郎の墓などがある。

■歴史■

慶長8年(1603年)に良然が開山したと伝わる。

■ガイドパネル■

(斉藤一(藤田五郎)の墓 抜粋)「鳥羽伏見の戦い等を経て、会津若町城下に入り負傷した土方歳三に代わって新選組隊長となり、会津戊辰戦争を戦った。しかし西軍が城下に迫った時、「会津候(松平容保)あっての新選組、会津を見捨てることはできない」と隊士十余名と会津に残り仙台へ向かった土方と別れた。 会津藩降伏後は一瀬伝八と名乗り越後高田に幽閉。明治三年斗南へ移る際藤田五郎と改名。その後上京し警視庁に入り、容保の媒酌により会津藩士高木小十郎の娘時尾と結婚。警視庁においては西南戦争へ出陣するなど活躍。その後東京教育博物館等へ奉職し、1915年(大正四年)七二歳で逝去。後半生を会津人として生きた本人の希望によりここ阿弥陀寺に眠っている」

■観光情報■

所在地:  福島県会津若松市七日町4-20 
アクセス:  七日町駅前バス停 徒歩約1分 
御朱印/御城印など:  七日町観光案内所で「東軍墓地」の御朱印を頒布 
オフィシャルサイト: なし