大賽山建福寺
建福寺
■概要■
会津藩初代藩主保科正之ゆかりの寺院。河井継之助埋骨地がある。会津七福神めぐりの福禄寿の札所。
■見どころ■
しだれ桜が有名。樹齢はわからないが古木であるという。会津藩家老・神保内蔵助利孝寺の墓がある。また東側の埋葬地には河井継之助の墓碑がある。
■歴史■
保科正之が会津城主として転封した際、随従してきた保科家の菩提寺である大宝山建福興国禅寺の鉄舟禅師が正保4年(1646年)南町川原新丁の長福寺跡に開山した。延宝8年(1680年)には廃寺となっていた鞍見山正光寺跡地に大伽藍を造立。明治元年(1868年)の会津戦争で建物は焼失。現在の建物は明治3年(1870年)に鶴ヶ城の古材を利用し再建された。
■逸話■
河井継之助は、北越戦争で長岡藩兵を指揮した人物。 長岡で被弾した河井継之助は、会津へ向かう途中の南会津郡只見町で亡くなり、当時長岡藩藩主が身を寄せていた建福寺に骨が埋葬されたという。 後に、長岡の河井家菩提寺である栄凉寺に転葬された。
■ガイドパネル■
「建福寺は信州高遠に開創されたが、保科正之に随って、最上・会津と移ってきた。 また当寺は長岡藩家老河井継之助の遺骨を最初に埋葬したところである。」(抜粋)
■観光情報■
所在地: | 福島県会津若松市建福寺前7−3 |
アクセス: | 建福寺前バス停 徒歩約10分 |
御朱印/御城印など: | あり |
オフィシャルサイト: | なし |