旅と史跡の記録

宝光山妙国寺

妙国寺山門

■概要■

会津藩主・松平容保父子が会津戦争後に謹慎生活を送った寺院。 自刃した白虎隊士の最初の遺体埋葬地。

本堂

白虎隊士自刃仮埋葬地

ガイドパネル

白虎隊士の霊碑

■見どころ■

飯盛山で自刃した白虎隊士の最初の埋葬地で、石碑が建立されている。

■歴史■

開山は慶永元年(1394年)。当地に生まれ各地で修行し、明徳3年(1392年)に入寂した日什大師の弟子・日仁上人が、誕生地である滝沢に庵を結んだのが妙国寺のはじまり。

■逸話■

会津戦争で会津藩は降伏し、会津藩主・松平容保父子は、鶴ヶ城が開城した明治元年9月23日から28日間、妙国寺で謹慎の身となり、その後東京の鳥取藩邸に身柄を預けられた。

■ガイドパネル■

「慶応4年8月23日、大野ヶ原に出陣した白虎隊士中二番隊明け方からの激しい戦闘で負傷者が続出した。 味方の必死の攻撃にもかかわらず敵の進攻はやまない。やむを得ずお城を目指して退却することとなり、山中をさまよいながら、ようやく飯盛山上にたどりついた。 しまし、白虎隊士20名の見たものは燃えさかる天守閣であった。 「もはや、これまで、君公も自刃し果てなられたであろう。敵の恥ずかしめを受けるよりは、いさぎよく自刃しよう。」と衆議一決、山上の露と消えた。 白虎隊士の遺体は誰も手をふれることが出来ず、野ざらしの状態であった。 牛ヶ墓の吉田伊惣治は余りにも可哀そうに思い、夜な夜な遺体を菩提寺の墓地に運び埋葬したのである。 よって当山は白虎隊士最初の埋葬地である。」

■観光情報■

所在地:  福島県会津若松市一箕町大字八幡墓料78 
アクセス:  滝沢妙国寺入口バス停 徒歩約6分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: あり