旅と史跡の記録

無量寿山長命寺

長命寺本堂

■概要■

戊辰戦争の鶴ヶ城城下戦での激戦地。 会津藩戦死者を葬った「戦死墓」がある。

会津藩士戦死者之墓

築地塀の弾痕

ガイドパネル

■見どころ■

会津藩戦死者を葬った「戦死墓」がある。築地塀には当時の鉄砲弾が無数に残されていたが、平成5年(1993年)の大修理で数カ所に残るのみとなっている。

■歴史■

慶長10年(1605年)京都本願寺第12世教如人が蒲生秀行に請い、若松城下日野町(現在の上町)に一寺を建立、本願寺輪番(本願寺出先機関)の地とし「本願寺掛所」としたのが始まりとされている。寛文7年(1667年)現在の地に移転。輪番制を廃し世襲の寺となった。

■逸話■

戊辰戦争の会津城下戦で、最も激しい戦闘が行われた地とされる。 籠城戦の補給路確保のため出撃した佐川官兵衛率いる会津藩精鋭と、長命寺に陣を敷いていた長州藩兵・大垣藩兵が激しい戦闘を繰り広げた。 早朝暗いうちにに出撃するはずだった会津藩兵は、佐川官兵衛が前日の深酒したため寝坊し出撃が遅れてしまい、それが激戦の要因になったと言われている。

■ガイドパネル■

「寛文年間(1661-1672)本願寺直轄寺院であったこの寺は、再興の寺格を示す白線の五條の築地塀を許された。」 「この築地塀の名を高らしめたのは、戊辰の役における長命寺での攻防戦であり、当時の鉄砲弾がこの築地塀に無数に残っていて、その戦いのすさまじさを物語っている。」(抜粋)

■観光情報■

所在地:  福島県会津若松市日新町5−51 
アクセス:  桂林寺町バス停徒歩約6分 
御朱印/御城印など:  なし 
オフィシャルサイト: なし