旅と史跡の記録

弁天台場跡

新選組最後の地碑

■概要■

江戸末期に外国船の襲来に備えて武田斐三郎が設計した台場(砲台)跡。 箱館戦争の際、新選組の生き残り隊士を含めた旧幕府軍が立てこもり、新政府軍に抗戦した。

新選組最後の地碑

■見どころ■

市電・函館どつく前駅の近くの公園に、ガイドパネルと「新選組最後の地碑」が建てられている。

■歴史・逸話■

土方歳三は新選組隊士が守っていた弁天台場が新政府軍に攻撃され孤立したため、救援に向かう途中、一本木関門で銃撃され戦死したと言われている。

■ガイドパネルより■

「西洋列強からの圧力が増してきた江戸末期に、幕府は蝦夷地を2度目の直轄領とした。安政元(1854)年、函館奉行竹内下野守と堀織部正は、箱館の警備について幕府に上申し、弁天岬台場を築造することになった。 台場は、安政3年、10万両の予算で、現在の函館どつくの一角に着工された。設計・監督は五稜郭と同じ武田斐三郎によるもので、不等辺六角形(周囲約684m、面積約32,340m²)をした台場は、元治元(1864)年に完成した。 この台場が実際に使われたのは、箱館戦争の時であった。台場を選挙した旧幕府脱走軍は、新政府軍と砲戦を展開したが、新政府軍に圧倒され、明治2(1869)年5月15日、台場に籠城していた函館奉行永井玄蕃ほか約240名全員が降伏した。 台場はその後、弁天砲台として陸軍省の所轄となり、函館砲隊が守備していた。明治29(1896)年、港湾改良のために取り壊されて周囲が埋め立てられたので、今は昔の姿を知ることができない。」

■観光情報■

所在地:  函館市弁天町20 
アクセス:  市電「函館どつく前」電停 徒歩2分 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: なし