旅と史跡の記録

碧血碑

碧血碑

■概要■

箱館戦争をはじめ、戊辰戦争での旧幕府軍の戦死者を供養するために建立された石碑。

碧血碑

宮本小一漢詩碑

柳川熊吉顕彰碑

■見どころ■

函館八幡宮の社殿の横の舗装された道を上り坂のほうへ案内板に従って歩いた、山の中腹にある。旧幕府軍戦死者の埋葬に尽力した柳川熊吉の顕彰碑や、明治初期の外交官・宮本小一が碧血碑を詠んだ漢詩の碑が建立されている。

■歴史・逸話■

賊軍である旧幕府軍兵の慰霊を行ってはならない、という命令に背いた柳川熊吉は追及を受けるが、その意気に感じた新政府軍の田島圭蔵の計らいで無罪とされた。 2年後の明治4年(1871年)熊吉は土地を購入し、実行寺・称名寺・願乗寺に埋葬した遺体を改葬した。さらに4年後の明治8年(1875年)に碧血碑を建立した。 碑建立には、榎本武揚や大鳥圭介なども尽力している。

■ガイドパネルより■

「箱館戦争で戦死した土方歳三や中島三郎助父子をはじめ、北関東から東北各地での旧幕府脱走軍戦死者の霊を弔っているのが、この碧血碑である。碑石は、7回忌にあたる明治8(1875)年、大鳥圭介や榎本式場らの協賛を得て、東京から船で運ばれたもので、碑の題字は、戦争当時陸軍奉行であった大鳥圭介の書といわれている。 碑の台座裏に、碑建立の由来を示す16文字の漢字が刻まれているが、その表現からは、旧幕府脱走軍の霊を公然と弔うには支障があったことが推測される。 なお、碧血とは「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」という、中国の故事によるものである。」

■観光情報■

所在地:  北海道函館市谷地頭町1 
アクセス:  市電・谷地頭駅徒歩約12分 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: なし