一本木関門跡
一本木関門模型
■概要■
若松緑地公園の端に、関門の模型と土方歳三最期の地碑が建てられている。
諸説あるが、土方歳三は弁天岬台場へ救援に向かう途中の一本木関門で銃撃され戦死したと言われている。
一本木関門
若松緑地公園
土方歳三最期の地碑
ガイドパネル
■見どころ■
幕府軍が設置した関門・一本木関門があった付近。現在は若松緑地公園となっている。
■歴史・逸話■
土方歳三は新選組隊士が守っていた弁天台場が新政府軍に攻撃され孤立したため、救援に向かう途中、一本木関門で銃撃され戦死したと言われている。 土方の遺体は元幕府御庭番衆・小芝長之助に引き取られ埋葬されたという。五稜郭内で他の戦死者と共に埋葬されたとも言われるが、詳細は不明。
■ガイドパネルより■
「新撰組副長として京都の街に勇名をはせた土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後 新撰組を率いて各地を転戦して北上し仙台で旧幕府海軍副総裁榎本武揚が指揮する脱走艦隊と合流した。 明治元年(1868年)10月、蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は、箱館を占領して新政権を樹立、土方はその陸軍奉行並の要職についた。 翌2年4月、新政府軍の総攻撃に榎本軍は各地で敗退したが、土方が守った二股口(現・北斗市)だけは最後まで落ちなかった。 しかし、同年5月11日、ついに箱館も政府軍の手に落ちた。土方は箱館奪還を目指し、50名の兵を率いて一本木(現・若松町)の関門を出て箱館の市中に向かい、敢然と切り込んでいったが銃弾に当たって倒れ波乱に満ちた生涯を閉じた。時に35歳であった。」
■観光情報■
所在地: | 北海道函館市若松町33−6 |
アクセス: | JR函館駅徒歩約10分 |
御朱印/御城印など: | - |
オフィシャルサイト: | なし |