旅と史跡の記録

一乗山実行寺

山門

■概要■

アメリカ、フランス、ロシアと、外国人の宿泊地として利用された寺院。 墓地には会津藩士の墓や箱館戦争の慰霊碑が建てられている。

山門

本堂

境内

ガイドパネル

■見どころ■

境内に「日仏親善函館発祥記念碑」や会津藩士の墓や箱館戦争の慰霊碑が建てられている。

■歴史・逸話■

ペリー来港時、随行写真班がスタジオにしたという寺院。フランス軍艦の水兵の療養所になったり、ロシア領事着任当時には領事館としても利用された。 箱館戦争後、住職の日隆が侠客の柳川熊吉と共に、放置されていた旧幕府軍の戦死者を回収し、埋葬した。 後に柳川熊吉が函館山に買った土地に改葬され、碧血碑が建立される。

■ガイドパネルより■

「実行寺は明暦元年(1655年)、山ノ上町(現弥生町)で清寛という僧が草庵を結んだのが始まりといわれ、元禄3年(1690年)松前の日蓮宗法華寺の末寺となったが、実行寺と称するようになったのはいつ頃からか明らかではない。(明治17年山梨県見延山久遠寺の末寺に編入。) 正徳4年(1714年)、富岡町(現弥生町)に移転し、明治12年(1879年)の大火後、同14年(1881年)この地に移った。 その後も幾度か大火に見まわれ、大正7年(1918年)現在の建物が完成した。 安政元年(1854年)ペリーが来航時には実行寺にスタジオが設けられ、そこで行われた写真術は、市民を驚かせ、翌年には、フランス軍艦シビル号(艦隊ではなく軍艦)が入港し、実行寺が多数の疾病水兵の養成所となった。また、ロシア領事着任当初の同5年(1858年)には領事館としても利用された。 また、明治2年(1869年)箱館戦争終結後、旧幕府脱走軍戦死者の遺体が市中に放置されたままになっていたとき、住職が侠客柳川熊吉と相談して、寺に葬ったという美談も残されている。」

■観光情報■

所在地:  北海道函館市船見町18−18 
アクセス:  市電・函館どつく前駅徒歩約10分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: なし