旅と史跡の記録

国華山高龍寺

高龍寺山門

■概要■

函館最古の寺院。 箱館戦争の際、新政府軍の兵士が乱入し旧幕府軍の負傷者を斬殺する事件が起こる。 犠牲者の慰霊碑「傷心惨目の碑」がある。

本堂

記念植樹

傷心惨目の碑

ガイドパネル

■見どころ■

明治期に建立の山門、本堂が現存する。境内に旧会津藩有志によって建立された「傷心惨目の碑」がある。

■歴史・逸話■

寛永10年(1633年)、松前の法源寺の末寺として亀田村(現在の市内万代町辺り)に亀田山高龍寺として創建された。元禄16年(1702年)豪雨で亀田側が氾濫し堂宇が倒壊。その後も数度にわたり災害に遭い、宝永3年(1706年)に弁天町(現在の入舟町)に移転し、山号を国下山とした。 函館開港当初には、実行寺と共にロシア領事館一行の止宿所となる。 何度か大火で建物が焼失したが、明治12年(1879年)に現在地に移転。明治33年(1900年)に現在の本堂、明治34年(1901年)には山号を国華山に改め、明治43年(1910年)に山門が建立された。 戊辰戦争の際には、箱館病院の分院として旧幕府軍の負傷者を受け入れていたが、乱入した新政府軍の兵士に負傷兵が斬殺され建物に放火され、会津藩遊撃隊の隊士が多数犠牲になった。

■ガイドパネルより■

「明治2(1869)年5月11日、箱館戦争最大の激戦が箱館の市街地で行われた。当時の高龍寺は、もっと坂の下にあり旧幕府脱走軍の箱館病院分院にあてられたが、同日、新政府軍の先鋒隊が乱入し、傷病兵らを殺傷して寺に放火し、会津遊撃隊の者が多数犠牲になったという。 明治12(1879)年高龍寺は移転、翌13年に旧会津藩有志がこの碑を建て、斬殺された藩士を供養した。 碑面「傷心惨目」は、中国、唐の文人李華の作「古戦場を弔う文」からとったもので、文字は中国南宋の忠臣岳飛の真跡を写したものである。」

■観光情報■

所在地:  北海道函館市船見町21−11 
アクセス:  市電・函館どつく前駅徒歩約10分 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: あり