旅と史跡の記録

新島襄海外渡航の碑

新島襄海外渡航の碑

■概要■

新島襄は同志社大学の創始者。当時は外国人居留地だったここから、元治元年(1864年)にアメリカへ密航した。

ガイドパネル

ガイドパネル

■見どころ■

函館港湾岸に記念碑が建てられている。

■歴史・逸話■

元治元年(1864年)に新島襄はアメリカ商船ベルリン号に乗り込み密航。上海でアメリカ船ワイルド・ローヴァー号に乗り換え、ボストンに入港。10年間留学し、明治7年(1874年)に帰国。翌年に同志社英学校を設立した。

■ガイドパネルより■

「新島襄は、新知識を海外に求め、吉田松陰の海外渡航の失敗を考慮し、渡航地を箱館に選びました。 元治元年(1864年)江戸からきて、ニコライ主教(ハリストス正教会2代主教)に、日本語を教えたりなどして脱出の機会を待っていましたが、同年6月14日(新暦7月17日)深夜、福士成豊(日本最初の函館測候所開設者)の助力により、この地から国禁を犯して海外渡航に成功しました。 上海経由で渡米した新島襄は、修学10年の後、明治7年(1874年)帰国し、翌8年京都において同志社大学の前身である同志社英学校を創立しました。 この碑にある「男児志を決して千里を馳す 自ら辛苦をなめてあに家を思わんや 帰って笑う春風雨を吹くの夜 枕頭なお夢む故園の花」の漢詩は、新島襄の自作自筆によるもので、元治2年(1865年)香港での作です。 渡航前の名前は新島七五三太でしたが、渡航中に船長から「ジョセフ」名をもらい、略して「襄」の字をあてました。 明治23年(1890年)48歳で没。」

■観光情報■

所在地:  北海道函館市大町11 
アクセス:  市電・大町駅徒歩約3 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: なし