旅と史跡の記録

藩校・弘道館

二大字「尊攘」の書

■概要■

水戸藩主・徳川斉昭が設立した水戸藩校。

通用門

正庁の玄関

至善堂御座の間

正門

■見どころ■

水戸城三ノ丸跡にある。国の重要文化財に指定されている正門の柱などには、明治元年(1868年)の弘道館の戦いの弾痕がある。また弘道館の中心的な建物である正庁や、藩主の休息所や子弟の学習の場として使用された至善堂などがある。

■歴史■

天保12年(1841年)水戸藩9代藩主・徳川斉昭公によって創設。明治元年(1868年)の弘道館の戦い(水戸藩内の諸生党(保守派)と天狗党(過激派)の戦闘)で正庁、至善堂、正門以外の建物は焼失している。

■逸話■

至善堂御座の間では、江戸城開城後の慶応4年(1868年)に水戸へ下った徳川慶喜が静岡へ移るまでの4ヶ月間滞在し、謹慎した。

■ガイドパネル■

「弘道館は水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)寛政12年(1800)ー万延元年(1860)が、自らの発意により天保12年(1841)創設した藩の学校です。 当時は、正庁至善堂を中心として文館、武館、医学館、天文台等が配置され梅林の中には鹿島神社孔子廟、八卦堂、学生警鐘(鐘楼)等があり総合大学のような偉容を示していました。 明治元年(1868)藩内に争乱がありその際の兵火によって文館、武館、医学館等を失い、その後広大な敷地も県庁、三の丸小学校用地として割譲され規模は縮小されました。 昭和20年(1945)の戦災によって残存していた、鹿島神社、孔子廟、八卦堂も焼失しましたが、正門、正庁、至善堂、学生警鐘は、奇跡的に戦火をまぬがれました。 昭和28年(1953)から、八卦堂、孔子廟の復元、正庁、至善堂の修理等を行い、弘道館公園として現在に至っています。」(抜粋)

■観光情報■

所在地:  茨城県水戸市三の丸1丁目6−29 
アクセス:  JR水戸駅 徒歩約8分 
御朱印/御城印など:  なし 
オフィシャルサイト: あり