旅と史跡の記録

樺山資紀邸跡碑

樺山資紀邸跡碑

■概要■

明治政府の要職を歴任した樺山資紀邸跡。

■歴史■

天保8年(1837年)橋口与三次の三男として誕生。文久3年(1863年)樺山四郎左衛門の養子となる。薩英戦争、戊辰戦争に従軍し、西南戦争では熊本鎮台参謀長として熊本城攻防戦に参加。第1次山県内閣、第1次松方内閣で海軍大臣、第2次松方内閣では内務大臣、第2次山縣内閣で文部大臣など要職を務めた。白洲次郎の妻、白州正子は樺山資紀の孫にあたる。

■逸話■

明治24年(1891年)衆議院本会議の予算審議の際、軍艦建造費削減の動きに対し、海軍大臣だった樺山は「薩長政府トカ何政府トカ言ッテモ、今日国ノ此安寧ヲ保チ、四千万ノ生霊ニ関係セズ、安全ヲ保ッタト云フコトハ、誰ノ功デアル」という、薩長藩閥政府擁護のいわゆる「蛮勇演説」を行い、民党の海軍・政府批判に反論。議会は混乱したものの削減案は可決され、衆議院は解散となった。

■観光情報■

所在地:  鹿児島県鹿児島市中央町4−33 
アクセス:  JR鹿児島本線鹿児島中央駅 徒歩約7分 
御朱印/御城印など:  なし 
オフィシャルサイト: なし