旅と史跡の記録

森有礼誕生地碑

森有礼誕生地碑

■概要■

薩摩藩出身の政治家、外交官の森有礼の誕生地。

■ガイドパネル■

1885年(明治18)わが国初の伊藤博文内閣成立の時、その国際的見識をかわれて文部大臣に就任したのが森有礼です。彼はドイツの教育制度を参考に、小学校から帝国大学までの学校制度を整えました、「国家に立つ人間をつくる」という彼の信念が、第2次世界大戦までのわが国の教育を方向づけたのです。若くして海外事情に目覚めた森は、17歳の時、五代友厚らと共に19名の使節・派遣留学生に選ばれ渡欧。帰国後は新政府の外交官として、清国やアメリカに駐在しました。このような海外経験から、彼は常に文明開化の先頭に立ち、閉鎖的な思想を批判し、西洋文化を紹介し広めることに努めました。廃刀論、信仰の自由、男女同権、一夫一妻制、さらには「英語を国語に」という提言や、西洋風の結婚パーティ、契約結婚の実行など、当時としては極めつけのハイカラさんだったようです。ところが時代はまだそんな彼を受け入れず、伊勢神宮参拝で不敬行為があったと噂され、1889年(明治22)憲法発布日の朝、官邸で刺殺されました。

■観光情報■

所在地:  鹿児島県鹿児島市春日町11−7 
アクセス:  カゴシマシティビュー 今和泉島津家本邸跡(篤姫誕生地)前バス停徒歩約7分 
御朱印/御城印など:  なし 
オフィシャルサイト: なし