旅と史跡の記録

大久保利通生い立ちの地

大久保利通君誕生之地碑

■概要■

高麗町で誕生した大久保利通が、幼少期から育った地

誕生地記念碑

■見どころ■

石碑には誕生地と刻まれているが、誕生地は高麗町にあり、この地は幼少期に移転し育った地である。
明治22年(1889年)大日本帝国憲法発布を契機として、西郷隆盛、大久保利通の偉業・遺徳を偲んで、全く同型の記念碑が西郷隆盛誕生地とこの大久保利通生い立ちの地に建立された。共建碑には碑建立に尽力した大山巌、黒木為楨、東郷平八郎など同郷の友人をはじめ、西郷従道や牧野伸顕など、西郷家・大久保家の人々の名が刻まれている。

■ガイドパネル■

大久保内務卿が庁舎に入ると、雑談はやみ、あたりは水を打ったように静まり返った・・・子ぼんのうな私生活とは裏腹に、政治家としての大久保利通は厳格さにも凄味があったといわれています。幕末激動期に西郷との絶妙コンビで明治維新を成し遂げ、新政府樹立後は天才的な政治手腕で近代国家の建設に着手。親友西郷と真向から対立しても、その信念を貫き通しました。大久保は、1830年(天保元)下級役人ながら琉球館付役を勤め、学識豊かな利世(子老)を父として高麗町で生まれ、まもなくこの下加治屋町に移りました。3つ年上の西郷とは薩摩独特の郷中教育の中で、兄弟以上の信頼で結ばれていました。15歳で記録所書役助として出仕。お由羅騒動では、父が遠島、利通も謹慎となりどん底の暮らしを体験します。その後、島津斉彬が藩主となり復活。斉彬亡きあとも、藩の実権を握った久光に信頼され、精忠組のリーダーとして薩摩藩を倒幕の中心勢力に育てあげたのです。西郷を嫌った久光を説得し、流刑地から呼び戻したのも大久保の力だといわれています。

■観光情報■

所在地:  鹿児島県鹿児島市加治屋町23−26 
アクセス:  JR鹿児島本線 鹿児島中央駅 徒歩約8分 
御朱印/御城印など:  なし 
オフィシャルサイト: なし