旅と史跡の記録

西郷隆盛誕生地

西郷隆盛君誕生之地碑

■概要■

西郷隆盛、西郷従道の誕生地

西郷従道誕生之地碑

西郷従道邸庭園跡庭石

生い立ちの地記念碑

■見どころ■

誕生地碑、西郷従道邸庭園跡庭石、西郷隆盛誕生地・大久保利通生い立ちの地記念碑などがある。

■逸話■

西郷従道邸庭園跡庭石:
西郷従道は、兄・隆盛の隠棲所を営む目的で明治7年(1874年)に東京・目黒に土地を購入したものの、隆盛が西南戦争で死去したため明治33年(1900年)までは西郷家の別邸として、それ以降は昭和16年(1941年)まで本邸として使用された。西郷従道邸が公園として整備されるにあたり、平成12年(2000年)庭石が目黒区から鹿児島市へ寄贈された。

■ガイドパネル■

「大きくたたけば大きく鳴る。小さくたたけば小さく鳴る」と土佐の坂本龍馬を驚かせた薩摩の「ウドメサア」(目の大きな人のこと)西郷隆盛の器量の大きさは、彼が生まれ育った下加治屋町の郷中教育によって培われたといわれています。1827年(文政10)西郷は下級武士の家の7人兄弟の長男として誕生(海軍大臣を務めた従道は三男。)貧しい生活の中で藩校造士館に通い、次第に下加治屋町郷中の少年達のリーダーとして頭角を現します。鹿児島の町には独特の若者組織があり、町毎に区切られた郷中という単位で少年たちが集まり、厳しくしつけられるのです。西郷は13歳のとき、右腕を負傷し武芸はあきらめましたが、その分勉学に励み、二才頭として郷中の仲間の人望を集めました。西郷の指導者としての有能さは、この郷中から多くの偉人が育ったことからもうかがえます。17歳で郡方書役助という地方役人となり、農村を回り、農政についての意見をまとめました。これが後に英明藩主といわれた島津斉彬の目にとまり、やがて日本を舞台に活躍する足がかりとなったのです。

■観光情報■

所在地:  鹿児島県鹿児島市加治屋町5 
アクセス:  JR鹿児島本線 鹿児島中央駅 徒歩約10分 
御朱印/御城印など:  なし 
オフィシャルサイト: なし