旅と史跡の記録

西郷隆盛終焉の地

西郷隆盛終焉の地

■概要■

西郷隆盛や西郷に従った桐野利秋、村田新八、桂久武、池上貞固、別府景長、辺見十郎太が自刃または戦死した地として、記念碑が建てられている。

■見どころ■

鶴丸城跡から歩いて数分の場所に碑が建てられている。

■歴史■

私学校生徒を中心として挙兵した西郷隆盛率いる薩摩軍は、熊本・鹿児島などを転戦するも次第に劣勢に陥り、最後には鶴丸城裏手の城山に立て籠もった。明治10年(1877年)9月、薩摩軍は取り囲んだ政府軍に最後の突撃を仕掛けた。

■逸話■

腹部と大腿部に被弾し動けなくなった西郷隆盛は、島津応吉邸の門前で皇居のある東を向き手を合わせ、別府晋介の介錯で首を落としたと言われ、その首は折田正助邸の門前に埋められたとされている。後に発見された西郷の遺体は、官軍の実質的な総司令官だった参軍・山県有朋などが検分し、浄光明寺跡(南洲墓地)に埋葬された。

■観光情報■

所在地:  鹿児島県鹿児島市19−37−2 
アクセス:  カゴシマシティービュー 薩摩義士碑前バス停 徒歩約2分 
御朱印/御城印など:  なし 
オフィシャルサイト: なし