旅と史跡の記録

弘前城

篠原国幹誕生之地碑

■概要■

戊辰戦争では薩摩藩3番隊長として、西南戦争では薩摩軍1番大隊長として、西郷隆盛を支えた人物。

■歴史■

天保7年(1837年)生まれ。戊辰戦争では薩摩藩3番隊長として東海道から東北地方で戦った。明治財布では陸軍少将を務めるも、鹿児島へ戻る西郷隆盛に従い官職を辞し、私学校設立の際に銃隊学校の監督に就任。西南戦争に薩摩軍一番大隊長として参戦。吉次峠の戦いで銃撃され戦死した。

■逸話■

戊辰戦争の上野戦争では、彰義隊が固く守備していた黒門口を攻撃。激戦となり西郷隆盛が退去命令を出すも、「一歩も退くに能わず」と攻め落とし、武勇を轟かせた。

■ガイドパネル■

若くして伊地知正治、重野安繹と共に造士館に学び、和漢学を修めました。戊辰の役では薩摩三番小隊長として活躍しました。明治5年陸軍少将となったが明治6年征韓論に敗れた西郷に従い官職を辞し、桐野利秋等と帰鹿しました。私学校設立と同時にその監督となり、子弟の養成に励みました。西南の役では、薩軍の一番大隊長として、田原坂の激戦を指揮したが敵弾に倒れ、40歳の若い生涯をとじました。

■観光情報■

所在地:  鹿児島県鹿児島市加治屋町9−10 
アクセス:  鹿児島市電 甲東中学校前駅 徒歩約5分 
御朱印/御城印など:  なし 
オフィシャルサイト: なし