旅と史跡の記録

東郷平八郎誕生之地碑

東郷平八郎誕生之地碑

■概要■

海軍の指揮官として日清・日露戦争で活躍し、海外にも名を知られている。

■歴史■

弘化4年(1848年)薩摩藩士・東郷実友の四男として誕生。戊辰戦争では軍艦・春日丸に乗って転戦。西南戦争時はイギリス留学中だった。海軍の指揮官として日清・日露戦争で活躍し、特に日露戦争ではバルチック艦隊を日本海海戦で全滅させ、海外にも名を知られている。

■ガイドパネル■

薩英戦争に東郷家では父子4人がそろって出陣しました。生麦事件(横浜市)の直談判のため7隻のイギリス軍監が鹿児島湾に入ってきて、計101門の砲口を鹿児島に向けていたのです。1863年(文久3)7月2日、ついに戦闘が開始され、力の差をまざまざと見せつけられた時、東郷平八郎はじっと海上をにらみ、海軍への道を志した―――といわれています。平八郎もまた、多くの偉人たちが育った下加治屋町郷中の出身です。1847年(弘化4年)に生まれ、仲五郎といた幼少の頃から、芯の強い子として西郷隆盛の次弟吉次郎に可愛がられました。戊辰戦争では軍監春日丸に乗り組み、次々と戦に参加。維新後は海軍の留学生としてイギリスに学び、帆船ハンプシャー号で世界一周を体験しました。7年間の留学の最後に、グリニッジの造船所で日本軍監の建造に立ち会い、新鋭館で帰国。その後は一生を海軍に捧げ、ロシアのバルチック艦隊を全滅させ、「東洋のネルソン」としてその名を世界に轟かせました。

■観光情報■

所在地:  鹿児島県鹿児島市加治屋町11−24 
アクセス:  鹿児島市電 加治屋町駅 徒歩約3分 
御朱印/御城印など:  なし 
オフィシャルサイト: なし