旅と史跡の記録

生麦事件之跡碑

生麦事件之跡碑

■概要■

文久2年(1862年)島津久光の行列をイギリス人4人が馬に乗ったまま横切ろうとしたため薩摩藩士に斬られた「生麦事件」の碑。

生麦事件参考館(閉鎖)

■見どころ■

生麦事件で薩摩藩士に斬り付けられたイギリス人・リチャードソンが落命した地に建てられている。
生麦駅近くに事件を伝える私設の「生麦事件参考館」があったが、平成26年(2014年)に閉館している。故・館長の意思を継承し地元住民や歴史団体が再開を目指しているという。

■歴史■

文久2年(1862年)江戸から帰途中の島津久光の行列を、イギリス人商人・ウッドソープ・チャールズ・クラーク、同じく商人のウィリアム・マーシャル、マーシャルの従姉妹で日本見物に来ていた・マーガレット・ボロデール夫人、同じく観光で来日していたチャールズ・レノックス・リチャードソンの4人が馬に乗ったまま横切ろうとしたため、薩摩藩士に斬られた。リチャードソンは落命し、クラークとマーシャルは重傷を負った。

■逸話■

諸説あるが、薩摩藩士が斬り付けた理由は、藩士が馬を下りて脇に寄れと身振りで指示したが、言葉も分からず日本の風習にも詳しくない英国人らが島津久光の乗った駕籠に近づきすぎたためとされる。

■ガイドパネル■

朝廷は幕府に攘夷断行を求め、江戸に赴く大原勅使の護衛として薩摩の島津久光が同行し、その帰途、文久2年8月21日(西暦1862年9月14日)午後2時、行列を横切ろうとしたイギリス人一行を生麦で殺傷しました。この事件を土地に因んで生麦事件といい、薩英戦争の契機となりました。明治16年、鶴見の人、黒川荘三が中村敬宇の撰文を得てイギリス商人リチャードソン落命の地に、遭難の碑を私費で建立したものです。

■観光情報■

所在地:  神奈川県横浜市鶴見区生麦1丁目16−14−2 
アクセス:  京急本線 生麦駅 徒歩約8分 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: なし