旅と史跡の記録

常山寺傑山寺

傑山寺本堂

■概要■

片倉小十郎景綱が建立した片倉家の菩提寺。

佐藤孝郷の墓

片倉家墓所

片倉景網の墓標の一本杉

松前家の墓

■見どころ■

片倉家初代・片倉小十郎景網の墓標の一本杉、片倉家11代目以降の当主と代々の奥方の墓所、北海道の松前城主・松前慶広の五男・安広とその子、広国の墓所、幕末の片倉家の家老・佐藤孝郷の墓所などがある。

■歴史■

1608年(慶長13年)に片倉小十郎景綱が建立。

■逸話■

片倉小十郎景綱は墓が敵にあばかれないよう、墓石を置かずに一本の杉を墓標とした。
松前安広は若い頃、数人の供と松前を出て江戸へ向かい、その道中、白石で魚釣りを楽しんでいた時に領内視察をしていた片倉重長に出会い、意気投合。しかし白石滞在中に疱瘡にかかり、手厚い看病を受けた。その後安広は伊達家に仕官し、重長の娘・喜佐を娶る。男子に恵まれなかった重長は安広と喜佐の長男を養子とし、片倉家3代・景長となった。
幕末・戊辰戦争で降伏恭順した仙台藩は禄高を減らされ、その影響で片倉家はほぼ無いに等しい石高になり、刀を捨てて白石で農民になるか、士族として北海道へ入植するかの岐路に立たされた。この際に若干19歳の青年家老の佐藤孝郷が、片倉家中の心を動かし、士族として移住を決意させた。

■観光情報■

所在地:  宮城県白石市南町2丁目7−20 
アクセス:  JR白石駅 徒歩約21分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: あり