旅と史跡の記録

白石城

天守(三重櫓)

■概要■

仙台藩主伊達家の家臣・片倉家の居城。

大手二ノ門

大手一ノ門(菱御門)

天守内

神明社

本丸井戸

歴史探訪ミュージアム

■見どころ■

三階櫓(天守)と大手一ノ門、大手二ノ門は平成7年(1995年)に忠実に復元されたもの。二ノ丸跡には大同2年(807年)坂上田村麻呂が創祀したと伝えられる神明社がある。また厩口門は延命寺、二ノ丸大手二ノ門は当信寺の山門として現存している。

■歴史■

平安時代の東北の騒乱「後三年の役」で戦功を立てた刈田左衛門尉経元が城を築城したのがはじまりとされている。その後、白石氏が領主となり白石宗綱の代に伊達稙宗(政宗の曽祖父)の配下に入り、伊達家の重臣となる。天正14年(1586年)からは伊達家臣・屋代勘解由兵衛景頼が城主になる。天正19年(1591年)豊臣秀吉が発した「惣無事令」(大名同士の武力衝突を禁じた令)に違反したとして白石地方は伊達家から没収され、蒲生氏郷が領主となり、氏郷の家臣・蒲生郷成が城下町を含む城郭を形成し、白石城の城主となった。蒲生氏が転封となると、白石は上杉家の領地となり、上杉家家臣・甘糟景継が城主となる。慶長5年(1600年)伊達政宗が白石城を攻略、政宗の叔父である石川昭光が城代に、慶長7年(1602年)には片倉小十郎景綱が城主となり、江戸時代通して片倉家が白石城の城主となった。

■逸話■

幕末の戊辰戦争の際、白石城で「奥羽越列藩同盟」が締結された。結成するきっかけとなった「白石列藩会議」が開かれ、会津藩、庄内藩の赦免の嘆願書を奥羽鎮撫総督に提出するが却下される。その後、奥羽鎮撫総督府下参謀・世良修蔵の密書を手にした仙台藩士が、福島城下の旅籠に滞在していた世良を襲撃、捕縛。福島の阿武隈川の川辺で斬首され、その首は白石の傑山寺の末寺である月心院に埋葬された。

■観光情報■

所在地:  宮城県白石市益岡町1−16 
アクセス:  JR白石駅 徒歩約12分 
御朱印/御城印など:  御城印あり。神明社の御朱印あり。 
オフィシャルサイト: あり