旅と史跡の記録

大分城(府内城)跡

府内城跡

■概要■

府内藩藩主の居城。

大手門(多聞櫓門)

人質櫓

天守台

西の丸角櫓

■見どころ■

文久元年(1861年)に再建された人質櫓、安政6年(1859年)に再建された宗門櫓が現存する。また天守台、外観復元された大手門(多聞櫓門)、模擬復元された西の丸角櫓、平櫓、大手門前に掛かっていた廊下橋を参考に復元された廊下橋などがある。山里丸跡には享保14年(1729年)に上州水沼村(現在の群馬県)で祀られていた松平家の祭神・近正八幡宮を移し、移転を経て明治33年(1900年)に現在地に復元された松栄神社がある。

■歴史■

鎌倉時代から戦国時代にかけて、豊後国の守護大名だった大友氏は府内城の南東側の大友氏館を本拠としていた。豊臣秀吉の九州平定後、大友氏は文禄の役(朝鮮半島での戦争)での失策で改易された。大友氏の後の府内領主・早川長敏に続いて府内に入った秀吉の家臣・福原直高が慶長2年(1597年)に府内城築城に着手。府内藩初代藩主となる竹中重利が慶長7年(1602年)に城郭を完成させた。あとを継いだ竹中重義が職務上の不正を咎められ改易・廃絶となり、代わって下野国壬生藩から日根野吉明が入封し府内藩主となるが、無嗣のため断絶。続いて吉明の義理の甥・松平忠昭が藩主となり、幕末まで松平家が藩主となった。

■逸話■

府内城の人柱伝説:福原直高が築城の際、度重なる水害で工事が進まなかったことから人柱を立てることになった。「人柱の家族の者は一生安楽に暮らせるようにする」というお触れが出され、一家を救うため上野六坊に住んでいたお宮という娘が、弁財天の木造を抱いて人柱になった。工事はその後順調に進み、お宮は弁財天とともに鎮守としてあがめられたという。

■観光情報■

所在地:  大分県大分市荷揚町1−2−1 
アクセス:  JR豊肥本線大分駅 徒歩約16分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: なし