旅と史跡の記録

中津城跡

中津城跡

■概要■

日本三大水城のひとつ。中津藩藩主の居城。

中津城天守

中津神社

中津大神宮

城井神社

奥平神社

天守からの景色

西南役中津隊之碑

歌碑

■見どころ■

高松城、今治城と並んで日本三大水城のひとつとされている。
城跡は中津城公園となっていて、敷地内には中津城歴史博物館、明治16年(1883年)に六所神社、丸山神社(義氏社)、稲荷神社、蛭子神社、八幡大江神社を合祀し創建された中津神社、明治14年(1881年)伊勢神宮の天照大神、豊受大神他を勧請して建立された中津大神宮、城井谷城主で黒田官兵衛と対立し誅殺された宇都宮鎮房を祀る城井神社、奥平家の中興の祖、奥平貞能、信昌、家昌を祀る奥平神社、黒田官兵衛資料館などがある。現在の天守は昭和39年(1964年)に再建されたもので内部は奥平家歴史資料館となっている。また、天正16年(1588年)に黒田官兵衛が普請した石垣が現存する。

■歴史■

豊臣秀吉による九州平定後、16万石の領主として移封した黒田官兵衛(孝高/如水)が天正16年(1588年)に築城。慶長5年(1600年)官兵衛の息子・黒田長政が福岡藩へ移ると、細川忠興が39万石に加増され入封。忠興は慶長7年(1602年)に藩庁を小倉城に移して小倉藩になり、中津城は支城として城代が置かれた。寛永9年(1632年)細川家に代わり譜代大名の小笠原長次が入封し、中津藩が立藩。享保2年(1717年)奥平昌成が入封。幕末まで奥平氏が藩主となる。明治期の廃藩置県後に建物のほとんどが破却され、御殿は小倉県中津支庁舎として利用されていたが、明治10年(1877年)の西南戦争の際に、西郷隆盛挙兵に呼応した増田宋太郎率いる中津隊の襲撃により焼失した。

■逸話■

城井谷城主・宇都宮鎮房:城井谷城は現在の福岡県築上郡築上町にあった城。天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州平定にあたり、宇都宮鎮房は伊予国(愛媛県今治市)に移封になるが、先祖伝来の土地を守りたかった鎮房は反発。豊前6郡の領主となった黒田官兵衛と対立し、戦になった。鎮房の本領安堵、鎮房の娘・千代姫(鶴姫)を人質とすることが和睦の条件となり、鎮房はこの条件を飲むも、天正16年(1588年)黒田長政の招待で中津城に訪れた際に酒宴の席で謀殺され、また人質の千代姫も磔にされ殺害された。
宝永2年(1705年)細川家に続いて領主となった中津藩4代藩主・小笠原長円が小社を建て城井大権現として祀り、その後城井神社となる。また鎮房が中津城の酒宴に招かれた際に家臣は城下の合元寺に留め置かれ、家臣達も黒田家の襲撃を受け闘死。城井神社の脇の扇城神社には宇都宮鎮房の家臣45人が祀られている。

■観光情報■

所在地:  大分県中津市二ノ丁本丸1273−2 
アクセス:  JR日豊本線中津駅 徒歩約15分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: あり