旅と史跡の記録

大隈重信旧宅/大隈重信記念館

大隈重信旧宅

■概要■

大隈重信の生家。併設して大隈重信記念館がある。

大隈重信旧宅

大隈重信記念館

大隈重信記念館

大隈重信銅像

■見どころ■

大隈重信生家は、天保以前の武家屋敷の面影を残した貴重なもので、国の重要文化財に指定されている。記念館では、大隈重信ゆかりの品々の展示のほか演説の肉声を聴くことができる。

■歴史■

隈重信は天保9年(1838年)佐賀藩上士・大隈信保の長男として誕生。 7歳で藩校・弘道館に入学するが、漢学を中心とした閉鎖的な教育に反発、南北寮の大喧嘩の首謀者として18歳で退学。蘭学寮へ入学し洋学を学ぶ傍ら、義祭同盟で尊皇思想を学び、副島種臣と共に脱藩して京へ向かう。慶応4年(1868年)外国事務局判事に任じられる。キリスト教徒弾圧事件(浦上四番崩れ)について、イギリス公使・パークスと激しい舌戦を繰り広げた。 その後、大蔵卿、外務大臣、農商大臣などを歴任。 太陰暦を太陽暦に改めたり、貨幣制度を見直すなど、日本の近代化の礎を築いた。また、明治15年(1882年)東京専門学校(後の早稲田大学)を創設した。

■逸話■

明治22年(1889年)外務大臣時に、外国人任官の含む条約改正案に反対した過激運動家・来島恒喜に爆弾を投げつけられ、右足を切断する重傷を負う。来島は現場で自害している。 以降、大隈は義足で過ごすこととなり、その義足は大隈重信記念館でも見ることが出来る。また切断された右足もアルコール漬けにして残されていて、大隈邸に置かれていたが、維持費が掛かるため日本赤十字看護学校に譲られ、現在は大隈家の菩提寺にあるという。

■観光情報■

所在地:  佐賀県佐賀市水ヶ江2丁目11−11 
アクセス:  大隈重信記念館入り口バス停 徒歩すぐ 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: あり