旅と史跡の記録

龍造寺八幡宮/楠神社

龍造寺八幡宮

■概要■

龍造寺家の始祖・南次郎秀家が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を勧請して建立した神社。境内に義祭同盟ゆかりの楠神社がある。

肥前鳥居

龍造寺八幡宮社殿

楠神社社殿 義祭同盟之碑

太鼓橋

■見どころ■

境内にある石造りの肥前鳥居は、慶長9年(1604年)鍋島勝茂の母・藤女が奉納したもの。境内社の楠神社は、日本で最初に楠木父子を祀ったといわれる。

■歴史■

文治3年(1187年)、龍造寺家の始祖・南次郎秀家が源頼朝から佐賀地方の地頭職に任じられ、居城内に鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を勧請して建立。慶長12年(1607年)に佐賀藩初代藩主・鍋島勝茂が佐賀城築城の際に現在地付近に遷座した。

■逸話■

嘉永3年(1850年)に、枝吉神陽が楠木正成・正行親子の祭祀を呼びかけ、佐賀藩の勤王運動の中心となった義祭同盟を結成した。 この同盟には、枝吉神陽を中心として神陽の弟である副島種臣、島義勇、大木喬任、江藤新平、大隈重信などが名を連ねた。

■ガイドパネル■

「楠神社は安政3年(1856)5月25日(旧暦)本庄町梅林寺より八幡宮境内に遷座し神として祀ったことに始まる。 当社の由緒沿革は寛文3年(1663)佐賀藩士深江信渓、大木英鐵等が京都の佛師法橋宗而に楠公父子櫻井の驛訣別の木造制作を依頼し、大和町永明寺に小堂を建てて祀ったのに始まる。その後楠公像は本庄町高傳寺に遷り、文化10年(1813)大塚長徹、嘉村穏蔵が同寺楼門上で発見し、有職故実家の山領主馬利昌が彫刻家小出光豊に命じて修復させ、同13年完成した楠公像を高伝寺の末寺梅林寺に安置して開眼式を行った。 降って嘉永3年(1850)には藩校弘道館國学教諭渓の裔孫深江種祿を祭主として楠公義祭を執行した。かくて楠公祭は毎年続けられたが安政3年5月25日藩の執政安房茂眞は、楠公像の当八幡神社への御遷座を進言した神陽を指示して遷座祭を行い同5年には盛大な楠社御祭を行った。 なお大正14年(1965)には強大な佐賀楠公会が結成され昭和20年(1945)終戦まで楠社を維持運営した。」

■観光情報■

所在地:  佐賀県佐賀市白山1丁目3−2 
アクセス:  JR佐賀駅 徒歩約15分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: なし