旅と史跡の記録

佐賀城

鯱の門

■概要■

佐賀藩主・鍋島家の居城。

佐賀城本丸歴史館西門

佐賀城本丸歴史館

御座間

堀と南西隅櫓台

鍋島直正公像

天守台

西側の堀

島義勇之像

■見どころ■

佐賀城本丸歴史館の建物は、佐賀城本丸御殿の遺構を保護しながら復元したもの。幕末の藩主・鍋島直正の居室である御座間は、現存する天保期の建物である。同じく現存する鯱の門の扉などには「佐賀の乱」の際の弾痕が残っている。

■歴史■

鍋島家以前は龍造寺家が肥前国の領主で、鍋島家は龍造寺家の重臣だった。龍造寺隆信が沖田畷の戦い(島津氏に寝返った有馬氏との戦い)で戦死すると、鍋島直茂が実権を掌握。龍造寺氏の村中城を拡張・整備し、慶長16年(1611年)に完成した。明治7年(1874年)「佐賀の乱」により一部の建物が破壊され本丸は焼失を免れるも、他の建物も徐々に解体され、本丸の門である「鯱の門」と続櫓と石垣が残るのみとなっている。

■逸話■

佐賀の乱は、明治7年(1874年)2月に江藤新平、島義勇らをリーダーとして佐賀で起こった明治政府に対する不平士族の反乱。佐賀が決起すれば薩摩の西郷隆盛など各地の不平士族が後に続き続々と決起するはずという目論見は外れ、大久保利通指揮下の追討政府軍に鎮圧され、江藤、島は処刑された。

■観光情報■

所在地:  佐賀県佐賀市城内2丁目18−1 
アクセス:  県庁前バス停 徒歩約12分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: あり