旅と史跡の記録

宇都宮城跡

宇都宮城跡

■概要■

宇都宮藩主の居城

富士見櫓

富士見櫓内

清明台

本丸土塁上

本丸土塁と堀

■見どころ■

本丸土塁の一部、土塁上に建つ富士見櫓、清明台櫓などが復元されている。

■歴史■

平安時代に藤原秀郷または藤原宗円(宇都宮氏の祖)が築城したとされている。中世は宇都宮氏が城主となり、関東に勢力を広げる北条氏と敵対。豊臣秀吉から所領を安堵されるも、太閤検地での石高過少申告等を理由に改易された。江戸時代には奥平家昌が宇都宮藩初代藩主となり、元和5年(1619年)本多正純が藩主となると「釣天井事件」が起こり、正純は改易となった。その後も奥平家、松平家、本多家、阿部家、戸田家が藩主を務めた。
幕末期の宇都宮藩は勤皇派で、坂下門外の変に宇都宮藩士が関わっていたこともあり幕府に目を付けられるも、鳥羽伏見の戦いで幕府側が敗れると、藩主・戸田忠友は徳川家の存続を求めて上洛しようとしたが、新政府軍に咎められ大津で謹慎となる。藩主不在のまま、土方歳三や大鳥圭介が率いる旧幕府軍の侵攻を受け、宇都宮城は落城。のちに伊地知正治、有馬藤太、大山巌などの薩摩藩兵の活躍で宇都宮城は奪還。一連の戦闘で城下は焼き払われ、城内の建物もほとんどが焼失した。その後堀や土塁も崩されて、太平洋戦争の戦災もあり、遺構はほぼ現存しない。

■逸話■

宇都宮城釣天井事件:
日光参りのため宇都宮を訪れた2代目将軍・徳川秀忠を、宇都宮城に吊り天井を仕掛けて暗殺しようとしたという噂が流れ、本多正純は流罪となり本多家は改易となった。実際には天井の仕掛けはなかったとされる。

■観光情報■

所在地:  栃木県宇都宮市本丸町2−24 
アクセス:  東武宇都宮線 東武宇都宮駅徒歩13分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: なし