旅と史跡の記録

東叡山寛永寺

東叡山寛永寺

■概要■

徳川将軍家の菩提寺。戊辰戦争の際に彰義隊が立てこもり、戦場となった。

根本中堂

開山堂(両大師)

不忍池辨天堂

旧寛永寺五重塔

■見どころ■

旧境内の大部分は現在上野公園になっており、根本中堂や、慈眼大師天海を祀る開山堂(両大師)、不忍池には辨天堂、京都の清水寺を模した舞台造りの清水観音堂のほか、19の塔頭、徳川家廟所などがある。また上野動物園内には旧寛永寺の五重塔がある。
現在の根本中堂は明治12年(1879年)に川越の喜多院の本地堂を寛永寺山内の大慈院の地に移築したもの。以前の根本中堂は現在の上野公園内噴水広場あたりにあり、説明板が建てられている。

■歴史■

寛永2年(1625年)慈眼大師・天海により江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に創建。徳川将軍家の祈祷寺、菩提寺として繁栄した。最盛期の境内地は現在の上野公園を中心に約30万5千坪に及び、その他に大名並みの約1万2千石の寺領を有した。幕末戊辰戦争の際、境内地に彰義隊がたてこもって戦場と化し、官軍の放った火によって全山の伽藍の大部分が消失した。清水観音堂、輪王寺門跡御本坊表門、徳川将軍霊廟勅額門などが焼失を免れ、重要文化財に指定されている。また、寛永寺の山門(黒門)が戊辰の役の上野戦争の遺構として保存されている。

■逸話■

戊辰戦争が始まり、朝敵とされた将軍・徳川慶喜は、恭順を示すため江戸城を出て、水戸へ移るまで寛永寺で謹慎した。根本中堂裏手の書院には、徳川慶喜が滞在した“葵の間”が現存している。

■観光情報■

所在地:  東京都台東区上野桜木1丁目14−11 
アクセス:  JR山手線 鶯谷駅 徒歩約7分(根本中堂) 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: あり