旅と史跡の記録

愛宕神社

愛宕神社

■概要■

出世の階段が有名。櫻田烈士愛宕山遺蹟碑がある。

櫻田烈士愛宕山遺蹟碑

将軍梅

■見どころ■

安政8年(1860年)桜田門外の変で井伊直弼を襲撃した水戸浪士達は、愛宕神社に集合し現地へ向かったという。また、西郷隆盛と勝海舟が愛宕山にのぼり、江戸を一望して江戸城無血開城の意志を確認し合った、という逸話もある。

■歴史■

慶長8年(1603年)徳川家康の命で防火の神として祀られた。慶長15年(1610年)庚戊本社、末社仁王門、坂下総門、別当所などを将軍家の寄進で建立され、幕府の崇敬を受けた。その後火災で全焼し、明治10年(1877年)本殿、幣殿拝殿、社務所が再建された。大正12年(1923年)の関東大震災、昭和20年(1945年)の空襲で社殿がほぼ焼失。昭和33年(1958年)本殿、幣殿、拝殿などが再建された。

■逸話■

出世の階段:三代将軍・徳川家光が徳川家菩提寺である増上寺へ参詣へ行く際、通りかかった愛宕神社に綺麗な梅が咲いているのを見つけ、馬に乗って梅の枝を取ってくるよう命じた。 しかし階段があまりに急勾配で、皆失敗を恐れて動かない中、曲垣平九郎は見事馬で階段を駆け上がり梅の枝を取って戻り、家光に褒め称えられたという。境内には、家光に献上した梅の木「将軍梅」がある。

■ガイドパネル■

当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。幕府の尊崇篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、祭礼等でもその都度下附金の拝領を得ておりました。また、徳川家康公のご持仏「勝軍地蔵菩薩」(行基作)も特別に祀られております。(非公開)。江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の度に焼失しましたが現存のご社殿は昭和33年再建されました。寛永11年三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(86段)を駆け上り、お社に国家安寧の祈願をし、その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から日本一の馬術の名人として名を馳せ「出世の石段」の名も全国に広まりました。万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門に出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門が外の変」の集合場所でもありました。(ご社殿内に額縁寄贈)海抜26メートルは都内随一の高さを誇り、桜と見晴らしの名所として江戸庶民に愛され数多くの浮世絵にもその姿を残しています。明治元年には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、江戸城無血開城へと導きました。鉄道唱歌にもその名が残り春は桜、夏の蝉しぐれ、秋の紅葉、そして冬景色と四季折々の顔を持つ風光明媚な愛宕山として大変貴重な存在となっております。ほおづき市・羽子板市は浅草の市の先駆け、発祥の地として江戸時代の書「東都歳時記」にもその賑わいは記され現在は6月の千日詣り、羽子板絵馬にその名残りをとどめています。(中略)昭和20年、尊攘義軍十烈士が敗戦の国を憂い山上にて自刃・玉砕、並びに二夫人がその後を追われました。現在も慰霊碑の前で御遺族、有志の人達の手により慰霊祭が行われています。

■観光情報■

所在地:  東京都港区愛宕1丁目5−5 
アクセス:  東京メトロ日比谷線虎ノ門ヒルズ駅徒歩約5分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: あり