旅と史跡の記録

彰義隊の墓(上野公園)

彰義隊の墓

■概要■

上野戦争で戦死した彰義隊隊士らを火葬した地

■ガイドパネル■

15代将軍徳川慶喜の一橋藩主時代の側近家来であった小川興郷らは、慶応4年(1868年)、大政奉還をして上野寛永寺に蟄居した慶喜の助命嘆願のために同志をつのった。そこには徳川政権を支持する各藩士をはじめ、新政府への不満武士、変革期に世に出ようとする人々が集まり、「彰義隊」と名乗り、やがて上野の山を拠点として新政府軍と対峙した。旧暦5月15日の上野戦争は、武力に勝る新政府軍が半日で彰義隊を壊滅させた。生き残った小川ら隊士は、明治7年(1874年)にようやく新政府の許可を得て、激戦地であり隊士の遺体の火葬場となった当地に彰義隊戦士の墓を建立した。さお、遺骨の一部は南千住円通寺内に合葬されている。以後、120年余り渡り、小川一族によって墓所が守られてきた。現在、歴史的記念碑としてその管理は東京都に移されている。

■観光情報■

所在地:  東京都台東区上野公園1 
アクセス:  JR山手線 上野駅 徒歩約5分 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: なし