旅と史跡の記録

徳川慶喜終焉の地

徳川慶喜終焉の地

■概要■

徳川慶喜の晩年の屋敷跡

■見どころ■

大学の門前に、徳川慶喜公屋敷跡の碑と徳川慶喜終焉の地のパネルが建てられている。

■歴史■

現・東京ドームシティ周辺に水戸藩上屋敷があった。小石川後楽園は水戸藩上屋敷の庭園として造営された。明治34年(1901年)徳川慶喜は旧水戸藩屋敷に近いこの場所に移住。大正2年(1913年)に死去した。

■ガイドパネル■

徳川幕府最後の将軍慶喜は、水戸藩主徳川斉昭の七男として、天保8年(1837)小石川の上屋敷(現小石川後楽園一帯)で生まれた。その後、御三卿の一橋家を相続した。ついで、幕末の動乱のさなか、長州攻めの陣中で没した第十四代将軍徳川家茂のあとを継ぎ、慶応2年(1866)第十五代将軍となった。翌、慶応3年大政奉還し、鳥羽伏見の戦いの後、天皇に対し恭順の意を表して水戸で謹慎、明治維新後、駿府(静岡県静岡市)に隠棲した。明治30年(1897)東京の巣鴨、さらに明治34年誕生の地である旧水戸屋敷に近いこの地に移った。慶喜は、のちに公爵、勲一等旭日大綬章を授けられ、朝敵とされた過去から名誉の回復がなされた。大正2年(1913)11月22日、急性肺炎のためこの地で没す。享年76歳。寛永寺墓地に葬られた。
※注:徳川慶喜の墓地は谷中霊園にある

■観光情報■

所在地:  東京都文京区春日2丁目8−9 
アクセス:  都営大江戸線後楽園駅徒歩約17分 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: なし