旅と史跡の記録

富山城

富山城

■概要■

加賀前田家の分家が独立し立藩した加賀藩の支藩、富山藩・越中前田家の居城。

模擬天守

千歳御門

天守からの景色

■見どころ■

石垣や堀などの遺構が残っている。
千歳御門は嘉永2年(1849年)に建築され、10代藩主・前田利保が隠居所として造営した千歳御殿の正門だったもの。明治初期に赤祖父家に移され、平成になって富山市が譲り受け移築した。
天守は鉄筋コンクリート製の模擬天守で、昭和29年(1954年)に戦災復興事業の完了を機に開催された「富山産業大博覧会」の記念建築物として、現存天守である彦根城や犬山城を参考に設計され、旧本丸鉄門跡に建てられた。現在内部は富山市郷土博物館として使用されている。

■歴史■

天文12年(1543年)神保長職によって築かれたとされる。上杉謙信に攻められた際に、長職は城に火をつけて逃亡。一向一揆との戦いなど、富山城を巡って数々の争奪戦が繰り広げられた。織田家臣・佐々成政が城主として大規模な改修をするも、天正13年(1585年)豊臣秀吉に攻められ降伏。その後、前田家の所領となり慶長2年(1597年)前田利家の嫡男・利長が富山城に入城したが、家督相続のため金沢に移った。慶長10年(1605年)に利長は隠居し再び富山城に入った。その際に大規模な改修が行なわれるも、慶長14年(1609年)に大火により焼失。利長は高岡城を築いて移り、元和元年(1615年)に一国一城令により廃城となる。
寛永16年(1639年)加賀藩第3代藩主前田利常が隠居の際、次男・利次に富山10万石を与え富山藩が立藩し、富山城が居城となった。

■逸話■

幕末の富山藩は財政的に厳しく、安政4年(1857年)にお家騒動等で本藩である加賀藩の介入を招き、また元治元年(1864年)には藩士による家老暗殺事件が起きている。

■観光情報■

所在地:  富山県富山市本丸1−1 
アクセス:  市内電車環状線 国際会議場前駅 徒歩約2分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: あり