旅と史跡の記録

柏尾山大善寺

柏尾山大善寺

■概要■

甲斐国の古刹。近藤勇率いる甲陽鎮撫隊が門前に陣を置いた。

本堂(薬師堂)

山門

行者堂

■見どころ■

国宝に指定されている本堂(薬師堂)は、弘安9年(1286年)に建立のもので、関東周辺で最も古い木造建造物とされる。

■歴史■

養老2年(718年)行基の開創。日川渓谷の岩上で修行していた行基は、手にブドウを持った薬師如来の霊夢を見たことにより、夢と同じ薬師如来を安置したという。聖武天皇(701~756年)の御代に鎮護国家の勅額と寺山号が下賜され、52堂3000坊の隆盛を誇った。堂宇は平安初期に火災に遭ったが、地元の豪族・三枝守国が天禄2年(971年)に再建して以来、平清盛、源頼朝、北条貞時、武田信春などが寄進や建立を続けた。

■逸話■

行基:
行基が住民に法薬ブドウの作り方を教え、ブドウを栽培するようになったのが甲州ブドウのはじまりといわれている。
武田勝頼:
戦国時代には、新府城を出た武田勝頼一行が小山田信茂の岩殿城に向かう際に、大善寺で一泊し戦勝祈願した。勝頼の家臣の大半が夜半に離散してしまったという。

■ガイドパネル■

大善寺「柏尾坂の戦い」:
旧幕府軍と新撰組は、1868年(慶応4年)薩摩藩兵を中心とする新政府軍と鳥羽・伏見の戦いで敗れ、大坂から江戸へ帰還した。その後、近藤勇を隊長とする「甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)」として新政府軍の東進を阻止する目的で、甲府城の接収を命ぜられ、甲州街道を西へ進んだ。しかし、板垣退助率いる新鋭府軍3000の一隊はわずか一日の差で甲府城に入城する。近藤は援軍要請のため土方歳三を江戸へ向かわせる一方、自身は西進し3月5日勝沼に布陣した。大善寺に本陣を置こうとしたが、大善寺には徳川家縁の寺宝があるという理由から諦め、大善寺の西側に先頭、山門前及び、東側の白山平にいたるまで細長く配置されたとされる。当初300名いた隊員は次々と脱走し、このときわずか121名だったという。先頭は3月6日正午頃から始まったが、わずか2時間程で甲陽鎮撫隊は江戸へ敗走することになった。

■観光情報■

所在地:  山梨県甲州市勝沼町勝沼3559 
アクセス:  甲州市民バス 柏尾坂公園前バス停徒歩約4分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: あり